新潮文庫の白黒の太宰

今度の週末は、前の職場の仲間たちと三鷹に、太宰治のゆかりの地を訪ねることになっている。
目的地の一つである太宰治文学サロンでは、「三鷹時代の短篇傑作『ヴィヨンの妻』」という企画展をやっている。それで、今日はその予習というわけで、ヴィヨンの妻を読んでみた。
これを読むの何十年振りだろう、いや、僕はこれを読んだことあるんだろうか、どんな話だったか全く思い出せない。でも、読み始めて、これは確かに読んだことがあると思った。

坊やは、今年は四つになるのですが、栄養不足のせいか、または夫の酒毒のせいか、病毒のせいか、よその二つの子供よりも小さいくらいで、歩く足許さえおぼつかなく、ことばもウマウマとか、イヤイヤとかを言えるくらいが関の山で、脳が悪いのではないことも思われ、私はこの子を銭湯に連れて行きはだかにして抱き上げて、あんまり小さく醜くやせているので、凄(さび)しくなって、おおぜいの人の前で泣いてしまった事さえございました。

という部分は、なぜか覚えがある。
僕が我が家の文庫本の棚から出して読んだのはこれ。

僕が持っている太宰治は『晩年』も『人間失格』も、すべて新潮文庫のこの表紙。だから、太宰といえばこの白黒の表紙カバーのイメージと切り離すことができない。
それにしても、さすが太宰、文章家の面目躍如といったところ。ぐいぐい読ませる。天才だ、太宰は。