旺文社文庫で読みたい内田百閒

mf-fagott2010-10-02

内田百閒は、できれば旺文社文庫で読みたい。
僕の内田百閒との出会いは旺文社文庫『有頂天』だったか、阿房列車だったか、とにかくその文章の魅力と旺文社文庫独特の質感とが僕の記憶の中では一体となってしまっている。今では新潮文庫などでも読めるようだけれど、どうしても違和感をぬぐい去ることができない。旺文社文庫の内田百閒が続々と売り出された当時、全部買い揃えておけばよかったと悔やまれる。もっともそれは僕が大学在学中から勤め始めて間もない頃にかけてのことで、内田百閒ばかりそんなに読みたいという気分でもなかったんだろう。
1年ほど前、古本屋で旺文社文庫『続百鬼園随筆が(新品同様の状態なのにもかかわらず)たった160円で並んでいるのを見つけ、これは儲けたと思って迷わず買った。すでに持っている可能性もあったけれど、古本屋によっては160円以上の値段で引き取ってくれるだろうと思ったのだ。(家に帰って本棚を見ると、百鬼園随筆はあったけれど、『続』の方は持っていなかった。)
それ以来、少し読んではしばらく中断しての繰り返しで、読み終わったのが昨日、修学旅行の引率で行った北海道から帰る列車、ではなく飛行機の中だった。
やっぱり内田百閒は面白い。多分、30年前よりも今の自分の方が、百閒をずっと面白く感じていると思う。以前は砂糖もミルクも入れて飲んでいた珈琲を、今はブラックが美味しいと感じるようになった変化は、文章の好みに関しても生じているのだ。
随筆と銘打っているけれども、一編ずつが不思議な味わいを持った短編小説のようで、いつの間にか引き込まれてしまう。幼少時の記憶や身辺の雑事を脚色することなく綴っただけなのに、独特な世界を現前させることができるのは、内田百閒ならではの文体の力なのだろう。

↑これは新潮文庫。やっぱり、これじゃないよなあ、と思ってしまう。全く個人的な思いこみに過ぎないんだけれど。
あ、福武文庫でも出していたんですね。↓