アーサー・ビナードのエッセイを読んでいると、読み手を引き込むユーモラスな語り口とテンポの良さ、そしてとても気の効いた結びの一文にいつも感嘆する。そして、自転車のことがしばしば話題になるのが、僕にとっては興味深い。
- 作者: アーサー・ビナード
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2006/02/17
- メディア: 文庫
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…自分がなぜ電車を避けてきたか…なんといってもやはり、進む方向を定めてしまう、このレールがいけない。池袋から、例えば三鷹へ行くのに、いろんな道があってしかるべき。……けれど電車となると、いやおうなしに新宿乗換え・中央線だ。もちろん道だって、国か都か市かが舗装して、方向が定められているものだけれど、いつどこで右折、また左折するか、歩道をのんびり走るか車道をぶっとばすか、自由に選べて、自分らしく行ける。
詩人のハシクレの僕が定型詩を極力避け、いわゆる自由詩にばかり走るイワレも、きっとそこにある。
なるほど、レールの上を走る電車=定型詩、コースを選んで走れる自転車=自由詩、か。
アーサー・ビナードは「ソネットの十四行のレール」に乗らない「自由詩」の書き手だ。でも、偶然のきっかけで短歌の会に入り、短歌を作っている。そして、宮柊二のこんな作品と出会う。
自転車を道に駆りこし修道女えごの木下に降りて汗拭く
詩を作る人の中には、定型という「レール」への憧れがあるのか、俳句を作るという人も多い。僕は自転車に乗ることも、電車で旅することも好きだけれど、詩に関しては、「レール」がなければどこへも行けない人間だ。「五七五」というレールに乗ったからこそ、表現する楽しみと出会えたという実感がある。
それにしても、次の一節は、俳句結社のスローガンとして実によくできているではないか。
私たちの俳句よ
驀進する「今」という機関車に跳び乗ろう(「街宣言」より)
何だかこの「機関車」、レールのない所でも突っ走って行きそうだけど。