『俳句界』4月号より

福永耕二という俳人の存在も『俳句界』4月号の「シリーズ、魅惑の俳人たち」を読むまで全く知りませんでした。「も」と言ったのは、先月号の横山白虹のことも同シリーズで初めて知ったからです。これからもこのシリーズには僕にとっての未知の俳人が続々と登場することでしょう。知っておくべき俳人が、僕にはまだまだたくさん残されているということですね。

俳句界 2008年 04月号 [雑誌]

俳句界 2008年 04月号 [雑誌]

さて、特集中の「耕二句セレクション」からは、次のような魅力的な句が見つかります。


浜木綿やひとり沖さす丸木舟
黒板にわが文字のこす夏休み
雪の詩に始まる学期待たれをり
蒲公英や荒れても青き日本海
白墨や手に春愁のはじまれり
目守る子の目の高さにて西瓜切る



これらの作品から、福永耕二の職業が教師であったことがわかります。しかし、この特集のどの文章も、教師としての福永耕二について詳しく言及していないのは、同業者の僕としてはもの足りないところです。「馬酔木」の耕二追悼号に載ったという能村登四郎の文章に次のような一節があるそうです。

…整理しない職員室の机の上には俳書が山をなし、彼の鞄の中にはいつも原稿の束がぎっしり入っていた。彼の目は不眠でいつも血走っていた。

これでも高校の教師が勤まっていたというのは現在の学校の状況からは考えにくいことです。しかし、おそらく耕二を慕っていた高校生は少なくなかったであろうと僕は推測します。彼の作品からにじみ出る彼の誠実で優しそうな人柄は、きっと生徒にも好ましく思われたであろう、というのがその理由の一つ。それから、福永耕二が現役の教師の任期中途で急逝したのは1980年。学校がさまざまな意味で大きく変わり始める境目がこのあたりなのであり、彼は教師にとってはある意味「よき」時代を過ごし得た人だったというのが、そのもう一つの理由です。