まぎゃくのほーこー

劇団ひとり陰日向に咲くを読み始めたら、最初の作品「道草」の一行目でいきなり「真逆」に遭遇。

陰日向に咲く

陰日向に咲く

 深夜まで残業をした帰り、会社のある大手町から、自宅のある千葉とは真逆の方向へタクシーで向かった。

僕がこの言葉と初めて出会ったのは今年度の授業が始まって間もない頃。数人の生徒の作文の中に続けて出て来たので、こりゃ何だろうと思ったのです。同僚の国語の教員に訊いてみると、数年前から生徒たちの文章の中に見られるというのです。それでネットで検索していろいろ調べてみると、この言葉、すでに若い人を中心にかなり広がっているようで、流行語大賞にノミネートされたこともあるとか。こういう「新語」の常として、「こんなことばは辞書にない」とか「嫌悪感を覚える、自分は絶対使わない」といったコメントも見つかりました。
しかし、新聞の書評などで好意的に紹介された小説の中でもこうして堂々と使われているわけだし、既に本の題名にも使われているようですから、「真逆」はすっかり市民権を得てしまっていると言えそうです。道理で、作文を返却しながら、「真逆」と書いていた生徒に、「これはなんて読むの、まっさかさま?」と聴いたら、「先生はこんな言葉も知らないのか」とでも言いたそうな怪訝な顔をされたわけです。若い人の言葉には敏感なつもりでいた僕としては、迂闊なできごとでした。
さて、2年生がサイパンへ修学旅行へ行くというので、その事前学習という意味で、石垣りんの「」という詩を現代文の授業で取り上げました。戦争末期にサイパン島の北端の崖から海へ身を投げた女性達のことを題材にした詩です。(今使っている教科書にはないので、プリントで紹介し、サイパンの歴史の話などを交えながら3時間ほど使って読んだのです。)
この詩の中に、

(崖はいつも女をまっさかさまにする。)

という一文があります。「真逆」という言葉が気になっていた僕は、この文中の「まっさかさま」という言葉から「真逆」をどうしても思い出してしまうのでした、なんてことはどうでもいいとして、この一文はどう解釈したらよいのでしょうか。


 解釈1 戦時中に限らず、追い詰められて犠牲になるのはいつも(身勝手な男ではなく)弱い立場の女の方である。
 解釈2 生か死かというような重大な瀬戸際に立たされると、(優柔不断な男と違って)女はいつでも果敢に行動する。


「解釈1」と「解釈2」とではそれこそ「真逆」といえるくらい、女性観に大きな違いが見られるのですが、僕にはどちらの解釈も捨てきれない、というか、この二つは両立しえるもののようにも思われるのです。(本当はもっと別の正解があるのかもしれないけど…)


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