悩める鈴木先生

先週の朝日新聞の「別刷り特集(Be Extra Books)」で取り上げられたコミックのうちで、『並木橋通りアオバ自転車店』(宮尾岳鈴木先生』(武富健治はどうしても読みたくなって、あちこちの本屋を探してしまいました。で、まず先に手に入ったのがこちら。

「別刷り特集」では「中学教師の鈴木先生が頭を悩ますのは、…給食中に下品な言葉を発する生徒をどうするか、給食メニューから酢豚を外すかどうか、といったあまりに些細なトラブルに対してなのだ。」とありますが、生徒のデリケートな気持ちに寄り添いながら解決しようとすれば、これは教師にとって決して「些細なトラブル」なんかではありません。しかも、鈴木先生のクラスの男子生徒は級友の妹の小学4年生と「やっちゃった」というのですから、どこが「些細」なものですか。
鈴木先生の問題への対応ぶりは実に真摯です。鈴木先生は生徒の心に近づいて問題の根っこをつかもうと、じっくり生徒の行動を観察し、とことん生徒の言葉に耳を傾けます。
そして、決して「些細」でない難問を前にして大いに悩みながらも立派に立ち向かうのです。鈴木先生は、

教師になって出会いそうな問題は 大学出たあとの3年間のプータロー時代に ある程度考えを用意してた

と言います。3年間のプータロー生活は鈴木先生にとって貴重な肥やしになっているようです。教員志望の若者には3年間のプータロー生活を義務付けた方がいいのではないか、とさえ感じてしまいます。
さて、
鈴木先生の人となりを語ろうとするとき、どうしても触れなくてはならない重要な点は、彼が常に自分自身を省みる人であることです。読めないのは生徒の心よりむしろ自分の心。

にしても不可解なのは オレ自身の心だ

そして御し難いのもまた自分の心。鈴木先生、自分のクラスの優等生小川蘇美に対する妙な想いを振り払うことができません。

教師として最大の危機だぞ こりゃ…

その小川に好きな人がいると聞いたときはショックを受けてしまい、ショックを受けてしまった自分自身の心にまたショックを受けてしまうという始末。
僕には、こんな悩める鈴木先生が魅力的に思えてなりません。もっと付き合ってみたいと思います。