小津安二郎を観る(その1)

この1週間で、小津安二郎の映画のDVDを9本も借りてしまい、そのうちの5本を見終わったところです。特別映画好きでもない僕にしては珍しいことですが、これはたまたまつぎのようなきっかけが重なったからなのです。


 その1…今ワクワクしながら読んでいる『中層連句宣言――引用のひかり』(浅沼璞著)の中に、小津作品に言及した箇所がいくつかある。たとえば「映像における小津のモンタージュは、とても多義的で連句的だ。」というふうに。
 その2…毎号購入している『考える人』の最新号が、「小津安二郎を育てたもの」という特集を組んでいる。(この中の橋本治の文章はなかなか面白い。)

考える人 2007年 02月号 [雑誌]

考える人 2007年 02月号 [雑誌]

 その3…そこでTSUTAYAにDVDを借りに行ったら、ちょうど「旧作レンタル半額」というサービス期間中だった。


というわけで、TSUTAYAにある小津の作品を結局全部借りてしまったのですが、一番評価の高い(らしい)『東京物語』というのがどういうわけかTSUTAYAにはないので、これはどこか別の店で探さなくてはなりません。
さて、これまでに観たのは麦秋』『お茶漬けの味』『東京暮色』『彼岸花』『お早よう』。『お早よう』以外はどれも「娘の結婚問題」というのが重要なテーマになっています。そして、同じ俳優が役を少しずつ替えて何度も出てきますから、観たばっかりなのに、どの映画がどういう内容だったか思い出そうとすると映画同士が頭の中で混線してしまうのです。『考える人』の中で橋本治も書いています。

 どういうわけか、小津安二郎のある時期の映画は、みんな似ている。だから、「娘を嫁にやる映画ばかり」というヘンな概括も生まれる。みんな似ているから、内容が思い出せない。

しかし橋本治は、その「みんな似ている」というのが「重要な事実」なんだと言っています。何度でも繰り返し追究しなければ済まないテーマが小津の頭の中にあったということでしょう。でも、その辺について自分の考えをまとめるのは、今手元にある4本と、『東京物語』を観てからにしましょう。
とりあえず、今日までに観た5本について、印象に残ったことを書いておこうと思います。頭の中を整理しながら、自分自身のための覚書として。


 『麦秋』…杉村春子に、あなたのような方がウチの息子の所に来てくれると私も本当に安心なんだけど言われ、いいわよと即答する原節子(紀子役)の天使のような笑顔に感動。子持ちの男を結婚相手に選んで悔いのない健気な女性の幸せを心から願ってしまうのでした。杉村春子の「紀子さん、あんパン食べる?」も確かに名せりふだなあ。
 『お茶漬けの味』…何と言っても、夫婦である佐分利信木暮実千代がお茶漬けを作って食べるシーン。ありがちな展開で先が読めるのに、僕はこういう所で単純に感動してしまう。理想化され過ぎているとは言え、どこまでも温厚でものわかりのいい佐分利信に魅かれる。自分も夫としてこうあらねばならないのだな、と思う(けど絶対無理だな…)
 『東京暮色』…有馬稲子が魅惑的。だが、その有馬稲子の死にリアリティーが感じられない。家族を失って取り乱した場面が描かれないのは、想像に任せるということか。(笠智衆にはそのテの演技はできないということか。)有馬稲子の姉役の原節子が、妹の死の原因はあなたのせいだと言って、自分たち家族を捨てた母親(山田五十鈴)を責めるのは、単純すぎないか。また、自分の娘と再会した時、そしてその娘の死を知った時の山田五十鈴の演技はあれでよいのか? 重いテーマを描ききれなかったきらいがある。
 『彼岸花』…佐分利信が今度は娘の結婚に関してものわかりの悪い頑固オヤジとして登場。どうしてそこまで頑なに意地を張るのか、その必然性が見えないのだが、とにかく典型的な封建的父親としてのキャラクターを与えられる。結婚式の場面は描かれない。そこでの佐分利信の振る舞いは想像に任せる、というのが小津流ということなのだろう。しかし、型どおり、しだいに娘の結婚に理解を見せ始める頑固オヤジ。娘夫婦のいる広島へ向かう列車の場面で、またも単純にジーンとしてしまう僕なのでした。
 『お早よう』…テレビが普及し始めるちょっと前の世相が、懐かしい。テレビが欲しいとわがままを言う男の子を叱る笠智衆。でも、本気で怒っているようには見えない。内心では買ってあげたいという子への愛情ではなく、彼の演技の限界が見えてしまうところが寂しい。『彼岸花』でもそうだけど、佐田啓二は文句なしのハンサムだなあと思う。そしてどちらの映画でも彼のアパートの玄関にはスキーの板が立てかけてあったことを、僕は見逃さなかった。BGMで結構ファゴットが活躍していたというところが、この映画のコミカルな性格をよく現している。その音楽の担当は、黛敏郎