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小林秀雄の難しさ、面白さ

…くほど豊富な絵画批評文学を伴ってゐる。印象派の時代などは未だ言ふに足りない。二十世紀になって、画家と文学との離別が決定的となったときに、絵画批評といふ随伴文学の繁栄も頂点に達した様だ。(ピカソ) 絵を見て感動するのに言葉はいらない、絵の前に無心になって立てばよいという。しかし、優れた作品は、多くの言葉を呼び寄せてしまう。それらを読むこともまた、絵画鑑賞の一部だということになると、絵を見ることの楽しみは尽きないとも言えるが、自分はその絵を十分に味わい尽くしているのかとの疑念が常…

知識か、感性か、

…、感性だけでなく、知性に働きかけるものでもある。作品の意味や機能、作者や注文主の意図などの知識があれば、鑑賞を深めることができるのだ。(クレパスと日本の近代美術) 美術作品との向き合い方に関して、先日読んだばかりの椹木野衣の『感性は感動しない』とは、ちょうど正反対の意見が展開されているように思われた。椹木野衣の主張を残念ながら僕は十分に理解することはできなかったが、この宮下規久朗の考え方の方には同意できる。これは美術に限ったことではない、音楽にも、文学にも、言えることだろう。

「なると気分」

…めにある』の中に、「文学」と呼べる文章と呼べない文章の違いについて説明した、次のようなくだりがある。(第一章 文学とはなんだろう) <文例1> 満塁になると気分が盛り上がる。 この文章(まあ、文学)は、「文意」はすぐわかる。野球の話だ。野球、という言葉は含まれていないが、満塁という言葉があるからわかる。確かに野球で満塁になると、気分は盛り上がります。同意見の人は多かろう。そこでこれは、文意がよく通じる文章だと評価できる。 しかし文章の「味」となると、どうだろう。 味、しない。…

読みの自由

…めにある―よくわかる文学案内』を読んだ。 僕たちは文章を読みながら、そこにもとの文章なんかどうでもよくなってしまうような、自分自身の経験を付け加えるのだ。 とは、ずいぶん思い切ったことを言っていますが、でも、そうなんですよね。読むというのは読み手の能動的な行為であって、且つ、読み手の個人的な行為だ。だから、読み手がいなければ小説は存在しないのと同じだし(書いた人はその小説の最初の読み手だから、書かれたけれど存在しない小説というのはないわけだけど)、読み手の数だけ小説は存在する…

村上春樹が漱石と並ぶとき

…ばかりで、村上作品の文学性、芸術性に対する評価に寄与するものではないように思われる。いったい専門家筋にはどう評されているのだろうかということが気になる。それで、こんな本に手が伸びる。村上春樹は、むずかしい (岩波新書)作者: 加藤典洋出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2015/12/19メディア: 新書この商品を含むブログ (10件) を見る この本が書かれた意図について、著者はこう語る。 村上に関しては、シンプルに、ただ彼を日本の近現代の文学の伝統のうえに位置づけること…

今の日本の文学はダメなのか?

…今書かれている日本の文学について、 私たちの知っていた日本の文学とはこんなものではなかった、私たちが知っていた日本語とはこんなものではなかった。(p.405) と言われても、「こんなもの」が具体的にどういう状況を指しているのか判然としない。 英語がとなったことと、日本で流通する文学が「ニホンゴ」文学となり果てつつあること。 この二つのあいだには、因果関係はない。 英語がとなったのがはっきりと目に見えるのようになる前から、日本の文学は内側から一人で幼稚なものとなっていったからで…

新設大学認可される?

…は、政治も、経済も、文学も、ゴシップも、なんでも学ぶことができます。テキストの半分は広告ですが、これだって、言葉の学習に役立ちます。 テキストには「社説」など、高校生には難しい文章も多く含まれますが、頭を使って理解しようとすれば、それこそ昨今はやりのアクティブ・ラーニングになります。 中高年の方々は、何十年も前の古い知識を更新するため、そして今以上に頭の働きを鈍らせないために、早起きしてテキストを読む習慣を身につけましょう。 なお、テキストを二紙併読すれば、大学から大学院への…

驚くのがうまい人

…とは、俳句って老人の文学なんかじゃなくて、若者っていうか、むしろ子供の文学ってことになりますよね。一番驚くのがうまいのは赤ちゃんかな。でもまだ言葉が育ってないから、文学にはならないけど。 堀本 うんうん。 又吉 いろんなことが新鮮だった。でも、だんだん飽きて、大人になると忘れてしまう。 堀本 僕、いまだにね、コメツキムシ見つけたら捕まえて裏返します。この虫は夏の季語ですね。時間がたつと、ぺこーんって跳ね上がるんですよ。それをじーと待つ。 ボク 僕なんか、コメツキムシを人差し指…

文学と生活

文学に興味を持つようになったきっかけは、と聞かれれば、高校の現代国語の教科書に載っていた島尾敏雄の短編(題名を忘れてしまったので、今調べてみたら「いなかぶり」だった)を読んで文学というものの奥深さに触れたからだなどと答えたりしていたのに、その割にはその島尾敏雄の代表作である『死の棘』を読むのは随分遅くなってしまった。 * * * * * 先月初めに、佐倉の街を歩いた時、偶然に正岡子規の句碑を見つけて、ここも子規のゆかりの地だったか、どこに行ってもその地にゆかりのある文学という…

旅人、正岡子規

…を開催中の神奈川近代文学館で復本一郎の講演会「子規の芭蕉」を聴いてきた。 印象的だったのは、次のような話。…子規は蕪村を称賛し、芭蕉に対しては随分厳しい評価を下しているが、資質的にはむしろ芭蕉の方に近かったのではないか。子規は実地に赴き、実際に見たものしか句にできない。蕪村のように空想で句を作ることができない点で、凡人なのである。もし子規が頑健で芭蕉のように旅を続けることができたら、より芭蕉的な世界に近づいていただろう。病に倒れた子規には、それは叶わなかった。子規の中に蕪村を…

花と港

近代文学館へ行って、5月6日の講演会のチケットを購入。 開催中の展示は講演会当日に見ることにして、港の見える丘公園の花と景色を楽しむ。5月に来るときには、今盛りのチューリップはすっかり消えて、バラの花が咲き始めているだろう。 この後、ミューザ川崎で、知人が多く参加しているオケの演奏するマーラーの交響曲第6番を聴いた。長大な曲だが、曲想や音色の変化が面白く、最後まで飽きずに聴き通すことができた。

ボブ・ディランと井上陽水

…・ディランがノーベル文学賞を受賞した、と言っても、僕はボブ・ディランという名前は知っているが、どんな曲を書いた人か、ほとんど知らない。 二ユースの中では、ボブディランの影響を受けた日本のミュージシャンとして、井上陽水と吉田拓郎の名前を挙げていた。井上陽水なら僕は大好きで、詩集『ラインダンス』の中から好きな詩を挙げていたらきりがないくらい。と言っても、陽水の詩の中で僕の好きなのは、80年前後に出たアルバムに集中している。「傘がない」「心もよう」の頃はそれほど好きだとは思っていな…

言葉を拾いに

…れるのが、俳句という文学なのではないか。ペン執るや言葉ひつこむ十三夜 昂りの欲しくて落ち葉踏みにゆく 気持を昂らせなければ、言葉は生まれないのである。ペンを握っても、キーボードに手を載せても、それだけでは言葉はなかなか思うようには出てきてくれないのである。そんな時、人は月の光を浴びたり、落ち葉をかさこそと言わせたりしようと、外に出て行くのである。落ち葉を踏みに行くとは、言葉を拾いに行くということなのである。月の光が呼びかければ、人は何かを答えようとするだろう。西行法師も、ベー…

定番教材に新しい光を!

超入門!現代文学理論講座 (ちくまプリマー新書)作者: 蓼沼正美,亀井秀雄出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2015/10/05メディア: 新書この商品を含むブログ (4件) を見る 面白かった! 「超入門!」とうたっている通り、高度な内容が分かりやすく書かれているのはもちろんのこと、実例として挙げられている作品が『羅生門』、『山月記』、『舞姫』という高校の国語の定番教材であるところが嬉しい。 これらの作品を取り上げる授業はどうしても毎回同じパターンになりがちだが、「統制…

認識の対象としての「わたし」

…短編集も出していて、文学賞をとり、もう文庫化もされていたなんて‥ 10年ほど前に教科書で出会った短編「ウサギ」をきっかけに読み始めて以来、大好きな作家の一人に数えていたのに、実は僕は南木佳士の熱心な読者だったとは言えないようだ。 NHKの番組「課外授業 ようこそ先輩」に出演したことも知らず、残念ながら見損なったが、その様子や番組の舞台裏がこの本の最後の「山を下りてから」に書かれている。南木佳士は母校の小学生たちと浅間山に登り、それを材料にして小学生に作文を書かせる。面白いと思…

旧東海道、宇津ノ谷峠

…の入り口。 ゆかりの文学作品を紹介する看板がところどころに建っている。 峠上に建てられているのは、 駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に会はぬなりけり の歌碑。 宇津ノ谷の集落。下の写真の民家(お羽織屋)には、秀吉に授けられた羽織が展示されている。この家にお住まいのお年寄りが、羽織の由来など興味深い話を聞かせてくれた。 峠道の下を、現在は4本のトンネルがくぐっている。下の写真はその中で最も古い、明治時代建造の煉瓦造りのトンネル。この日は夏のような暑さだったが、トンネルの中…

四月からの新番組

たまには本屋をのぞかないといけないなと思った。 今日、仕事帰りに久々に本屋に立ち寄ると、NHKのラジオでこんな番組が始まっていたのを知った。NHKカルチャーラジオ 文学の世界 十七音の可能性 俳句にかける (NHKシリーズ)作者: 岸本尚毅出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2015/03/25メディア: ムックこの商品を含むブログ (1件) を見る第一回の放送はもう終わってしまっていたけれど、次回からぜひ聴かなくちゃ。(忘れちゃいそうだけど…)

「一流」を育てたものは

…本というのは、すばる文学賞をとったという『永遠の1/2』のことだろう。近いうちに読もうと思っていて、その文庫本が机の上に置いてあるのだが、400ページ以上もあって文庫本としては厚い方だ。これを「一字一句まちがいなく」暗記していたというのは、驚くべきことだ。佐藤正午がいかにこの自分のデビュー作に心血をそそいだか、そして世に出た自分の最初の本をいかに愛していたかを物語っていると思う。 分厚い文庫本一冊を丸暗記するというのは、たとえば指揮者が交響曲のスコアを丸ごと頭に入れるのに匹敵…

中島敦の横浜

…、ついでに11月末の文学散歩の下調べをしておこうと思った。 忙しそうにしている事務所の女性に、中島敦の文学碑を見学したいのですがと声を掛けたら、ここに期日と名前を書いてください、幹事さんは事前の準備が大変ですねと、気持ちよく応じてくれた。場所は、元町商店街から少し山手の方に上がった所にある横浜学園附属元町幼稚園。かつてここは中島敦が勤務した横浜高等女学校だったのだ。「かめれおん日記」はここでの経験をもとに書かれている。 次に寄るのは、元町商店街の中ほどにある喜久家。中島敦がよ…

愚直に貫くこと

…を見る 先日の小田原文学散歩で名前が出てきた川崎長太郎という作家を読んでおこうと思ったのだ。「兄の立場」という作品、なるほど、悪くない。巻末の「人と作品」によると、「私小説作家としての作風を愚直なまでに貫いて」云々とある。愚直に貫くってことが大事だな。 併録されている小山いと子という作家の存在は、今までまったく知らなかった。その「石段」という作品はとても良かった。人間が生き生きと描かれ、じんわりと心に沁みる。たくさんの人にぜひ読んでもらいたいと思う。 小山いと子について、「人…

牧野信一を読んでみる(その3)

…。後年、牧野信一が縊死したことを考え合わせると、ここには彼の内面の真実が隠されているとも考えられる。 「ビルヂングと月」は、青年期特有の感傷を描いた、詩的な小品。牧野信一という作家、なかなか芸風に幅のある、魅力的な作家だと思う。 * * * * * というわけで、楽しみにして迎えた昨日の小田原文学散歩であったが、好天にも恵まれ、なかなか楽しい半日を過ごすことができた。牧野信一の墓(清光寺) 小田原文学館(残念ながら、牧野信一の資料はほとんど展示されていなかった。) 白秋童謡館

牧野信一を読んでみる(その2)

…を踏み分けていく苦難の冒険譚である。この風変わりな状況設定は、最初からこの物語にいわゆる私小説の源泉にある日常体験とは似ても似つかぬ性格を与えているので、その語り口には或る種のユーモアさえある。語られている事実は文字通り牧野の体験に即したもので、事実、牧野には彼自身の胸像があった。しかし、この物語は、空想とまで言っていいほどの奔放な想像力に彩られていて、同じ傾向は、牧野のはっきり自伝的といっていい一連の小説にも認められる。(『日本文学史 近代・現代篇四』徳岡孝夫、角地幸男訳)

牧野信一を読んでみる(その1)

来週の日曜日は小田原文学散歩だ。 その主催者から宿題が出ている。 「小田原ゆかりの作家、牧野信一の一編を読んでおくこと。」 僕には、今まで牧野信一を読んだ記憶がない。今日は青空文庫からiPadにダウンロードして、短編数編を読んでみた。青空文庫はこんな時にとても助かる。それにiPad用の青空文庫のアプリはとても扱いやすい。 「父を売る子」は牧野信一の代表作に挙げられているが、こんな自堕落な私小説ばっかり書いて終ってしまった作家なら、文学史上に名を残すことはなかっただろう。牧野信…

録音で聴く村上春樹

…送を聴くなんて、しょせん無理な話だったのだ。実はこれまでもほとんど日曜夜の放送は聴きそびれて、番組のホームページ上の録音を聴いていたのだけれど、また今回も最初から同じパターンになってしまった。放送日から一週間、番組の録音が聴けるというのは本当にありがたい。NHKラジオ 英語で読む村上春樹 世界のなかの日本文学 2014年 4月号 [雑誌] NHKテキスト出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2014/03/18メディア: Kindle版この商品を含むブログ (2件) を見る

さあ、もういっぺん…

…きな仕事を成し遂げた文学者、正岡子規を、愛情を込めて描ききった長編評伝小説。漱石、虚子、碧梧桐らとの交流の様子も、生き生きとよみがえる。 子規の遺体を抱き上げるようにして言ったという、母親の八重の言葉、 「さあ、もういっぺん痛いと言うておみ」 のことは何かの本で読んで知っていたが、小説の世界に引き込まれ、自分もその時子規庵に居合わせたような心持でこの言葉に出会うと、さすがにこみあげてくるものがある。 「あしは小説という形式では自分の思うている表現、感覚を満足させることはできな…

子規と信仰心

…る。(『鑑賞日本古典文学第33巻 俳句・俳論』所収) これを読んだとき、僕は子規のいくつかの句を思い浮かべた。迎火の消えて人来るけはひ哉迎火が消えて、やってくるのはご先祖様の霊ではなく、人。子規の目はあくまでも現実の世界に向けられる。涅槃像写真なき世こそたふとけれ尊いのは釈迦ではなく、写真がなかった頃の「この世」。子規の関心は、「あの世」ではなくあくまでも現実世界の方にあるようだ。二人ならば夏籠りせんと思ひけり「夏籠りせん」と言いながらも、この句からは子規の宗教心は少しも感じ…

中島敦の横浜

…、ついでに11月末の文学散歩の下調べをしておこうと思った。 忙しそうにしている事務所の女性に、中島敦の文学碑を見学したいのですがと声を掛けたら、ここに期日と名前を書いてください、幹事さんは事前の準備が大変ですねと、気持ちよく応じてくれた。場所は、元町商店街から少し山手の方に上がった所にある横浜学園附属元町幼稚園。かつてここは中島敦が勤務した横浜高等女学校だったのだ。「かめれおん日記」はここでの経験をもとに書かれている。 次に寄るのは、元町商店街の中ほどにある喜久家。中島敦がよ…

異界への憧れと憎悪

…』の読書体験によって文学の世界に引き込まれていった僕にとって、伊豆天城山麓を駆けずり回る子どもたちの世界は、とても懐かしい世界だ。 「少年」の中の次の一節は、三島市内に立つ文学碑に刻まれている。 三島町へ行くと、道の両側に店舗が立ち並び、町の中央に映画の常設館があって、その前には幡旗(のぼり)が何本かはためいていた。私たち山村の少年たちは、ひとかたまりになり、身を擦り合わせるようにくっつきあって、賑やかな通りを歩いた。 「白い街道」の中にある「M町」というのも三島市のことだろ…

「見る」ことと「言葉」について考えた。

…いあり方なのではないかと考えてみる。自分の言葉にできることが、本当に「見た」と言えることなのだ、と。ところが一方で、タイトルが見つかった時は作品鑑賞の行き止まりではないか、言葉探しなどせず、もっと純粋に、「見る」ことに徹したらどうか、という声も聞こえてくる。 「見る」ことと「言葉」との関係、どうも僕の手に負えなくなってきたが、また別の機会にも考えてみたい。* * * * * 大岡信ことば館を出た後、街中を流れる川沿いに立つ文学碑を見たり、三島大社を参拝したりしてから帰宅した。

散歩文学

「文学散歩」という言葉はあるが、「散歩文学」というのはあるだろうか――なんてことを考えていたら、職場の図書館でたまたま目に留まって手に取った『よちよち文藝部』という本の中で、梶井基次郎が「散歩の達人」と紹介されていた。梶井の作品はどれも散歩から生まれた… そういえば、丸善にレモンを置いてきたのも、散歩の途中だったかな。久しぶりに読んでみたくなった。(『よちよち文藝部』も面白そう。) 「散歩文学」などという言葉を思いついたのは、『散歩もの』という漫画を読んだからだ。散歩もの (…