空白を埋める

 僕は途方に暮れてしまう。
 今読み終わった村上春樹の『スプートニクの恋人』について、僕は何を書けばよいのだろう。
 小説の中の、数え上げればきりがないほど散りばめられた謎の中の、一つだけでも解き明かすことができたなら、充実した読書体験だったと納得することができただろうに、残念ながら今はまだそういう読後感を持つことができていない。
 この小説には、書かれなかった部分が多すぎると思う。例えば、すみれの失踪から帰還までの間に、彼女の身の上に何が起きていたのかがわからない。謎を解くには、まずその空白を読者自身の想像力で埋めなければならない。その空白を埋める手がかりは小説の中に書かれているのかもしれない。しかし、それを自分自身で見つけるには、二度、三度と読み直さなければならないだろう。

 ただ一つ、自分なりに考えたことは、この小説は22歳のすみれと、17歳年上の女性ミュウとの間の恋愛を描いた小説ではなく、「ぼく」とすみれのラブストーリーだということだ。(こんなことをあえて書くのは、僕が読んだ文庫本のカバーに「この世のものとは思えないラブ・ストーリー!!」とあるのが、すみれとミュウとの関係を指しているとしか読めないことに違和感を持ったからだ。)

 この小説は「22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。」という書き出しで始まる。すみれが初めて恋愛感情を抱くのがミュウという女性だ。
 一方で、肉体的に結ばれることのない「ぼく」とすみれは、「微妙な友情のような関係」を保ち続ける。しかし、謎の失踪を経て再び「ぼく」の前に現れる(はずの)すみれは以前のすみれとは違う(すみれの失踪中に「ぼく」にも大きな変化が訪れていたのだが)。
 「わたしにはもともと何かが欠けているのかもしれない。小説家になるために持っていなくちゃいけない、何かすごくだいじなものが」とかつて語っていたすみれは、「だいじなもの」を見つけたことによって変貌を遂げて「ぼく」の前に現れようとしている。「ぼく」はすみれとの「恋愛」を確信する。

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)