その絵のメッセージは? パトロンは?

西洋美術史入門 (ちくまプリマー新書)

西洋美術史入門 (ちくまプリマー新書)

 歴史を学ぶときに重要なのは「単なる固有名詞や年号を暗記することよりも、構造について思考することにこそある」、との考え方に基づいて書かれたこの本が教えてくれるのは、個々の作品についての知識よりも、作品鑑賞に入る前に知っておかなければならない、絵というものの基本機能。
 その一番目。一般大衆がまだ文字を読めなかった頃の絵は、観る人に何かを伝えようというメッセージ性が強かった。それはキリスト教の教義であったり、教訓であったり。それが何かを考えながら観なければ、絵を観たことにはならない。
 もう一つは、次の点。

 純粋に趣味的な創作活動が登場する近代以前には、すべての芸術作品に、それを創る人とそれを買う人がいるという事実です。その両者が揃わないかぎり芸術など存在しなかったのですから、創る側の美的探究の側面だけでなく、買う側の経済原理も知らなければなりません。順序からいって、美的追求よりもまず経済原理のほうを先に理解する必要があります。

 平たく言えば、その作品のパトロンは誰か、ということだ。
 これらの点を意識するようになるだけで、絵の見方は今までと違って、ぐっと深まるように思う。
 しかし、「現代美術」となると、上の二点ともに話は大きく違ってきている。

 ひとつは、誰もがネットなどに自由に投稿できる時代にあっては、芸術家の「プロ」と「アマ」の区別が失われていくという点です。プロフェッショナルである必要があるのか、そもそもプロの芸術家とは何者か。お金を稼ぐかどうかだけの差なのか―。なかなかやっかいな問題です。
 もうひとつは、識字率が低い時代において絵画が最大のメディアだったような、伝達手段としての必要性が失われつつあるという点です。美術は、当初与えられていた存在理由をほとんど失い、純粋に趣味的な表現の場、自己表現のツールとなっているのです。

 長い美術の歴史の中で、現代美術の時代はほんの短い期間に過ぎないが、きわめて変化の大きな世界の中で細分化されている。「純粋に趣味的な表現の場」というのもその細分化された中の一つの在り方に過ぎないはずで、上のような書き方には違和感を持つが、そのあたりはこの本の守備範囲の外ということだろう。