問いを見つける

 『考えるとはどういうことか』(梶谷真司著、幻冬舎新書)を読んだ。 

  筆者が実践しているという「哲学対話」というものに、とても興味がある。自分もそのメンバーの一人として参加できる機会があれば、ぜひ参加してみたいと思う。詳しく説明してくれているのでだいたいのイメージは掴めるが、やはり実際参加してみなければわからない部分もあるだろう。
 しかし、型通りの「哲学対話」を行うというのでなくても、その考え方を授業の中に生かせないか、とも思う。「問い」を見つけることは大事だと教室では毎回のように言っているが、生徒自らが良い問いを見つけ、そこから自発的な学びにつなげていくというのは、なかなか難しいことだ。

教科書に出てくる問いを見て、「これこそ私が考えたかったことだ!」と思う人は、おそらくただの一人もいないだろう。そのように押しつけられた、興味もない問いを「解く」ことは、考えることではない。考えさせられているだけで、強いられた受け身の姿勢を身につけるだけである。(太字は原典では傍点、以下同じ)

  「考えさせられている」生徒はまだ良い方で、多くの生徒は最後には教師が答えを示してくれるだろうと考えずに辛抱強く待っている。そうなると、教師も「答え」を示さざるを得ない。では、どうしたら良いのか。

考えるには、考える動機と力がいる。自分自身が日ごろ、疑問に思っていることはつい考えたくなる。考えずにはいられない。こういう考える力をくれる問い、つい考えたくなる問い、考えずにはいられない問い、それが自分の問いであり、そうした問いを問うのが、自ら問うことである。…

自分で見つけた問いは、考えるのも楽しいし、自分でついつい考えてしまう。

  本書には、自分で問いを作り出す具体的な方法も多数示してくれている。問いの質が高まれば、そこから思考は動き出すという。この本をヒントに、生徒が主体的に考える授業のあり方をこれからも模索していきたいと思う。