カズオ・イシグロと漱石

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

 読んでいるうちに、漱石『こころ』と重なる面があると感じてきた。などというと、どこが?と言われそうだが、『わたしを離さないで』には、わたし(キャシー)、ルース、トミーという三人の若者たちの友情と恋愛の物語という要素があり、『こころ』の方も、「下 先生と遺書」に関して言えば、私(先生)、K、お嬢さんの三人の物語であるという点で、両者を重ねてみるという考え方に納得していただける方もいるだろう。
 それにこれら二つの作品は、その語り口が非常によく似ている。『わたしを離さないで』は、わたし(キャシー)が、過去の記憶を丁寧に掘り起こしながら、特定の誰か(キャシーを好意的に理解し得る読者)と対話するような物静かな口調で、内省的に語り続ける。『こころ』の遺書における「私(先生)」の語り口も同様であり、「私」自身によって、過去の各場面ごとの自分の心理が信頼する読み手である学生の前に明らかにされていくのである。
 もちろん、それぞれの作品にはともに三角関係などという言葉で矮小化されてはならない、もっと大きな枠組みが準備されており、それぞれの時代との接点もある。『わたしを離さないで』の大きな仕掛けについては、ここで触れることはできない。予備知識なしで作品世界に入っていき、その仕掛けが少しずつ見えてくるところが、この作品を読む面白さの一つだからだ。そういえば、『こころ』にもミステリーの要素が少なからずあることは、読めばすぐ気が付くことだ。この点でも二つの作品には通じ合うところがあると言える。