広島と長崎を区切る線

 原爆忌はいつも夏の最も暑い時期にやってくる。だから当然夏の季語のように感じていた。アーサー・ビナードの次のエッセイを読むまでは。

 原子爆弾の季節感について、細かく考えたことはなかった。だが、数年前、知人と俳句の話になり、彼は「陰暦で季節を区切るから、歳時記は矛盾だらけ」と主張して言った。
 「広島の原爆忌は夏の季語だけど、長崎のほうは秋に入る。終戦記念日も秋。本当はみんな同じ夏の季語でなきゃおかしいだろ?」
アーサー・ビナード『日々の非常口』所収、「夏の線引き」より)

日々の非常口 (新潮文庫)

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 今年の立秋は明日。確かに広島と長崎の間に季節を区切る一線が横たわっている。
 歳時記ではこの問題をどう扱っているのか気になって、手元にあるものを調べてみた。

角川春樹編『現代俳句歳時記』…「広島忌」、「長崎忌」ともに秋
平井照敏編『新歳時記』…同上
・『新版季寄せ』…同上

角川書店編『今はじめる人のための俳句歳時記』…「広島忌」、「長崎忌」ともに夏
・宗田安正監修『季別季語辞典』…同上

・『合本俳句歳時記第四版』…「原爆忌」の項は夏、秋の両方にあるが、夏の巻では主に「広島忌」、秋の巻では「長崎忌」について説明している。

 多くの歳時記の中のごく一部を調べたに過ぎないが、歳時記によってまちまちであることは確認できた。
 こうして調べながら考えたのは、広島忌、長崎忌がどちらの季節に分類されていようと、大した問題ではないのかもしれないということだ。歳時記の性質上、季語をいずれかの季節に所属させなければならないのは当然のことで、陰暦に従えば微妙なところに位置する広島忌や長崎忌も、いずれかの季節に位置付けなければならない。しかし、広島忌、長崎忌に関して言えば、それを夏に入れたか、秋に入れたかによって、その本質が変わってくるだろうか。どちらにしても、歴史に刻印されている8月6日、8月9日という日付は動かない。
 そうは言うものの、僕の頭の中では、やはり最初に書いた通り、広島・長崎の惨事を暑い夏と切り離してイメージすることはできない。陰暦による歳時記の分類が実感とそぐわないという具体例はいくらでもあるのだが、立秋前に来る広島忌を秋に入れるというのはどういう考えによったものなのだろうか。