「秋」は「飽き」?

 今日は、『伊勢物語』第68段について。

むかし、男、和泉の国へ行きけり。住吉の郡、住吉の里、住吉の浜をゆくに、いとおもしろければ、おりゐつつゆく。或る人、「住吉の浜とよめ」といふ。
 雁鳴きて菊の花さく秋はあれど
   春のうみべに住吉の浜
とよめりければ、みな人々よまずなりにけり。

 「新潮古典集成」の頭注は、この歌について以下のように書く。

「住吉の浜」に「住み良し」を懸けることは、誰でもおもいつく平凡な発想だが、「春・秋」の対比に「憂・飽」をからませるところまでは、簡単に思いつくことではない。だから「みな人々よまずなりにけり」ということになる。

 さて、僕の疑問は、「住吉=住み良し」は当然として、「秋=飽き」、「海=倦み」という掛詞まで読み取る必要があるのか。作中の人々が感銘を覚えたのは、それほどまで凝った技巧を読み取ってのことだったのか、ということだ。
 そもそも言葉の同音性を面白がる日本人の心性をどう考えたらよいのか。前回の記事で「よしや、あしや」を「蘆」との音の重なりを面白がっているにすぎないと書いたが、そうしたことを低級な言葉遊びと断じてしまって良いのだろうか。
 …こんなことを考えていた時、『俳句の海に潜る』(中沢新一小澤実共著)の中で次の一節を見つけた。

十数万年前、今日の私たちと変わらない脳構造を持った新人が出現したとき、はじめて芸術と宗教が出現します。(中略)
そのとき生まれた、いちばん古い文芸の形はなぞなぞだと言われています。なぞなぞでは問いかけがあって、答えがありますが、問いと答えの間の距離が大きいほど、面白い謎だと言われました。最古層に属するなぞなぞに「目があっても見えないものは何」、というものがあります。むずかしいですよね。答えは、ジャガイモです。目(芽)が出るけれども見えない。音の共通性が遠く離れた意味の場を急接近させ、それが古代の人の心に喜びを発生させたのですね。
中沢新一「俳句と仏教」)

 「音の共通性が遠く離れた意味の場を急接近」させるのだという見方は、単なるダジャレとも見なされかねない言葉の遊びの捉え直しにつながる。
 中沢新一は、同書中の小澤実との対談の中で、次のようにも発言している。

比喩には解放する力があります。例えば箸。そのままだと箸という用途に閉じ込められているけれど、これを橋とつないでみると、この箸と橋がつながってしまう。ハシとハシ、つないでいるのは音だけです。その時、箸が解放され、橋と箸がつながっていく。用途の中に閉じ込められていたものが自由になる。その自由さが滑稽の大本ではないかと思う。

 言葉の音の重なりと、詩と、滑稽と。これらの関係は、これからもさらに考えていきたいと思うテーマの一つだ。

俳句の海に潜る

俳句の海に潜る

 先ほどの「伊勢物語」に戻って、「秋」や「海」に「飽き、倦み」まで読み取るべきかどうかという点については、時代によって読み手の好尚が異なれば、その捉え方にも変化が生じるのだろうとは思う。作中の人々が「住吉」に「住み良し」を読み取るだけでも十分に感動できるほどの「古代の人の心」を持っていたということはあり得る。今の僕の個人的な好みに従えば、「古典集成」の頭注にあるような深読みをすることは、歌の興趣をかえってそいでしまうのではないか、ということになる。

■追記(3月7日)
 森野宗明校注の『伊勢物語』(講談社文庫)では、第68段の歌について次のように記す。

「あき」に「飽き」を、「うみべ」に「倦み」をかけたとみ、「……秋は飽きると同じで住みよくないが、春の海べは憂みといっても住みよい所だ」とする説があるが、考えすぎか。

 岩波の『古典体系』なども、上の説は採っていない。どうやら「秋=飽き」説は分が悪いようだ。