売れてたまるか

 読むたびに、僕を楽しませてくれる建築家石山修武の文章。この本もまた、期待を裏切らない。
 自らの商品を語る石山修武の文章は実に面白い。石山修武だったら、たとえどんなにつまらない商品でも、屁理屈を並べてそれがいかに価値あるものかを語って見せることができる。お客さんにとって、もう商品の善し悪しなんてどうでもよくなってしまう。読者としてその話芸を楽しませてもらえればもう満足なので、商品を手に入れる必要はもはやない。商品を買うつもりはないけれど、ダイレクトメールは読みたいからどんどん送ってくれ、今度はどんな商品をどんなテを使って売り込むつもりか、お手並み拝見といった気持だろう。そんなわけで、雑貨商、石山修武の扱う商品は、あまり売れないに違いない。
 石山修武自身が、「あとがき」でぽろっと本音を吐いている。

…本当にみなさんにわたしの商品を買って貰いたいのか、それとも何かを書くのが本来の目的なのか不明なのが自覚できてしまったわけだ。

ほらね。石山修武は自分の商売に至極満足している。売れなければ売れないで、売れないことを楽しむ術を知っているからだ。

わたしの商店のベストセラーを御披露する。もちろんベストセラーとは一番売れなかった商品である。わたしの商店は当然のことながら量より質を大事にするからだ。ベストは量ではない質である。そして質というものは最終的には個人の好き嫌いに属する。これが大事だ。別の言い方を短くするならば売れてたまるかのモノ。

 こんな調子で始まる文章の中で、石山修武は第十八宝幸丸のカツオを「宝」と呼び、宝の価値の分からぬ人間をおおいに憐れむ。そして、最後はこうだ。

そんなワケでハンマの宝幸丸の初ガツオは二度と売ってあげない。わたしが一人占めして初夏の初ガツオとともに満喫してやる。
ザマミロである。

 石山修武は文章の達人である。と同時に、人生を満足して生きる達人であるに違いない。