五月の風のような

エイジ (朝日文庫)

エイジ (朝日文庫)

 五月の風のような、さわやかな感動を覚える物語。
 この清々しい読後感はどこから来るのか?
 一人の少年が、悩みつつ、成長を遂げる物語だから、と考えてみる。
 しかし、待てよ、と思う。それは一つのパターンに当てはめてみただけではないのか。この物語の主人公、エイジは、中学二年生にしては、最初からあまりにもデキすぎているのではないか。気持ちのコントロールがうまくいかなくなり、学校を抜け出して「日帰り家出」を敢行してみたりはするものの、自分自身の心の動きを常に冷静にチェックする機能が働いており、周囲の調和を乱すほど大きく崩れることは決してない。本庄めぐみという下級生からの交際の申し込みに対して、まったく気のりはしないながらもしばらく相手をしてあげるなどという行動は、あまりにも大人の対応だと(自分の中学時代を振り返ってみて、強く)思う。
 ガチガチの優等生ではなく、とんでもないアホでもないエイジ。バランスのとれた、好青年なのだ。そして、その友人のツカちゃんというのは、ちょっと困ったところがあるものの、根はいいやつで愛されキャラ。その他、この小説に出てくる大人も子供も、根っからの悪人はいない。世の中には気持ちを暗くする出来事が多いが、そんな中で誰もが前向きに生きている。
 この小説の清々しさは、著者、重松清の肯定的な世界観から生まれてくるのかもしれない。