「一流」を育てたものは

 佐藤正午がエッセイ集『象を洗う』所収の「賭ける」の中で、こんなことを書いている。

最初の本が出版されたとき、僕はその内容を完璧に記憶していた。
最初の本というのは原稿用紙で約七百枚の長編小説なのだが、書き出しの第一行目から最後の行まで、一字一句まちがいなく、頭に入っていた。誰かが望むなら、その場で暗唱してみせることもできた。

 最初の本というのは、すばる文学賞をとったという『永遠の1/2』のことだろう。近いうちに読もうと思っていて、その文庫本が机の上に置いてあるのだが、400ページ以上もあって文庫本としては厚い方だ。これを「一字一句まちがいなく」暗記していたというのは、驚くべきことだ。佐藤正午がいかにこの自分のデビュー作に心血をそそいだか、そして世に出た自分の最初の本をいかに愛していたかを物語っていると思う。
 分厚い文庫本一冊を丸暗記するというのは、たとえば指揮者が交響曲のスコアを丸ごと頭に入れるのに匹敵するだろうか。ピアノ奏者がコンチェルトのソロを暗譜で弾くのとどちらが難しいだろうか。いずれにしろ、誰にでも容易に達成できる仕事ではない。
 佐藤正午は自分の作品を覚えようとして覚えたのではないだろう。何度も書いては消ししているうちに、自然に頭に入ったということだろう。その労力が、作家としての力量を一流のものに押し上げることにつながったのだろう。文章修業に限らず、若い時にそのように一つのことに没頭する一時期を持つことは、その人の財産になるに違いない。
 僕はその点どうだったかと考える。もし若い時、たとえば第九のファゴットパートを全曲暗譜で吹けるくらいに練習する一時期を持ったならば、今頃は…