100年前の旅、100年前への旅

 

若山牧水随筆集 (講談社文芸文庫)

若山牧水随筆集 (講談社文芸文庫)

 牧水の随筆を読むと、酒と旅を愛した牧水の人となりが知られるだけでなく、100年前の日本人がどんな旅をしていたか、当時の庶民がどんな暮らしをしていたかがわかって興味深い。
 「みなかみ紀行」にしても、この随筆集にしても、読んでいると旅情を掻き立てられるが、今となっては、牧水のような旅はしたくてももうできない。その気になれば、牧水のように草鞋を履いて歩くことはできるが、旅人を迎える世の中が変わってしまっている。激しく行き交う車を避けながら歩いても、何の感興も起こらない。
 しかし、牧水のような旅はもう実際にはできなくても、牧水の紀行文を読めば、僕たちは100年前を旅することができる。

 私は草鞋を愛する。あの、枯れた藁で、柔らかにまた巧みに、作られた草鞋を。
 あの草鞋を程よく両足に穿きしめて大地の上に立つと、急に五体の締まるのを感ずる。身体の重みをしっかりと地の上に感じ、其処から発した筋肉の動きがまた実に快く四肢五体に伝わってゆくのを覚ゆる。
 呼吸は安らかに、やがて手足は順序良く動き出す。そして自分の身体のために動かされた四辺(あたり)の空気が、いかにも心地よく自分の身体に触れて来る。