歌の効用

伊勢物語』の「筒井筒」の段は、古文の入門教材として最適だと思う。古人にとって和歌は求愛のツールだったという話を生徒は興味深く聴いてくれる。
「王朝貴族の男女は、歌のやり取りによってお互いの気持ちを確かめ、愛を深めていったんだよ。」
「じゃあ、歌が下手だったら結婚できないじゃん。」
「そうだね。」(実は代作という手もあった、という話は次の時間にする予定。)


たとへば君―四十年の恋歌
さて、河野裕子永田和宏『たとへば君―四十年の恋歌』は、短歌というものが男女を引き合わせる求愛の手段であるばかりでなく、夫婦となった二人の相互理解を深め、絆を強める働きを持ちうることを教えてくれる。
たとえば、河野が
自意識に苦しみゐし頃わが歩幅考へず君は足早なりき
と詠めば、永田はそれに応えるように
君が歩幅を考えず歩きいたる頃せっぱつまりしように恋いいし
と歌う。相手の「歩幅」を慮ることのできなかった自分の至らなさへの自覚が相手への思いやりを生む。
河野の乳がんを知らされたとき、永田は自分では妻を心配させないように「平静を演じきった」と思っていたが、のちに河野の
何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢゃない
を読んで、自分のほうこそショックを受けてそれを全く隠せないでいたことを知る。この一首を永田は「もっとも辛い一首」と言っているのだが、永田にとって妻の歌は妻の心を理解するよすがであるばかりでなく、自分自身を映し出す鏡のようでもあったろう。一方で、永田の歌も河野にとってはそのようなものであったはずだ。そんな歌を互いに詠み続けることで、互いに理解を深め、信頼を深めていく。
この本は、二人の短歌とエッセイにより構成されている。
抗がん剤治療が始まる前、河野を京都御所に連れ出して、永田と二人の子供たちとで河野の写真を撮るシーンなど、たまらなく切なく美しい。映画だったらこんな絵になるだろうかと、頭の中に映像が浮かんでくる。ラストシーンにいたると、いよいよ涙を抑えることはできないが、後味はさわやかである。
伊勢物語』の授業の中で、ちょっと寄り道して、この本の話もしてみようかと思う。