猛虎の嘆き

久々に「百年文庫」を読んだ。

(035)灰 (百年文庫)

(035)灰 (百年文庫)

「かめれおん日記」の語り手「私」の次のような述懐は、「山月記」の李徴の独白を思い出させる。

落胆しないために初めから慾望をもたず、成功しないであろうとの予見から、てんで努力をしようとせず、辱しめを受けたり気まずい思いをしたくないために人中へ出まいとし、自分が頼まれた場合の困惑を誇大して類推しては、自分から他人にものを依頼することが全然できなくなってしまった。

ここを読んでいて思い浮かべるのは、「山月記」の次の箇所。

己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。己(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己(おのれ)の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。

さらに、

次第に俺は、俺という個人性を希薄にして行って、しまいには、俺という個人がなくなって、人間一般に帰してしまいそうだぞ。

は、「山月記」の

今少し経てば、己(おれ)の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋れて消えて了うだろう。ちょうど、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するように。

と重なってくる。
こうして並べてみると、叢から聞こえてくる猛虎の嘆きは、やはり中島敦自身のものでもあったのだと得心がいくのである。
強く希望している生徒がいるので、今年は「現代文」の授業で久々に「山月記」を読む予定。