大正の芳香に酔う


渋谷までファゴットのリードを買いに行ったついでに、松濤美術館で開催中の「大正イマジュリィの世界」という展覧会を観て来た。わざわざ交通費と時間をかけて渋谷まで行ったのにリードを買ってくるだけというのは物足りないので、展覧会でも観て来ようと思い、Bunkamuraの「モネとジヴェルニーの画家たち」にしようかとも考えたのだけれど、それよりもこの「大正…」の方が僕の興味をそそったのだった。
行ってみると、これは想像していたよりもずっと面白く、大規模の展覧会ではないのだけれど、ずいぶん時間をかけてじっくりと観てしまった。
展示物の半分以上を占めるのは書籍・雑誌で、それらは藤島武二古賀春江竹久夢二らの表紙絵や挿画によって瀟洒に彩られ、大正というロマンティシズムの横溢する時代によって醸成されたほのかな芳香を放っているかのようだった。僕はガラスケースに収められたそれらの本を自分の書棚に収め、時折それを手にとって開いてみるときに味わうであろう幸福感を夢想しないわけにはいかなかった。
近頃はすっかり電子書籍が市民権を得て、紙の本の存続が危ぶまれているが、これらの本を観ていると、両者は情報伝達の具として比較対照され、優劣を論じられるべきものではないだろうと思われてくる。本とは、何よりもまず色・形を備えたモノなのであり、そこに盛られた情報はモノに対してむしろ従属的な立場にあるのではないか。本はメディアであるよりも、まず工芸品としてこの世に存在しているのではないか…そんな思いに囚われてしまう。
もちろん、工芸品としての本がたとえば古伊万里の酒器などと違うのは、そこには既に美酒が盛られているということだ。ページを繰り活字を丁寧に追って行けば、美酒は読み手の体内に沁みとおる。橋口五葉が表紙を飾る『ホトトギス』や、竹中英太郎の挿画による乱歩の『陰獣』は、僕らをどんな酔い心地にさせてくれるのだろう。