古文と現代仮名遣い

かなづかい入門―歴史的仮名遣vs現代仮名遣 (平凡社新書)

かなづかい入門―歴史的仮名遣vs現代仮名遣 (平凡社新書)

勉強になった部分もいくつかありましたが、疑問に感じる点もそれ以上に多かったという印象です。
なるほどそう言われればそうだったと思ったのは、仮名遣いは発音の規則ではなく表記の規則である、という部分。高校の国語の授業では、古文の導入時に必ず歴史的仮名遣いの「読み方」を教えるのですが、本来は「歴史的仮名遣いの場合はどう表記するか」という観点で教えるべきかもしれません。
「おもふ(思ふ)」は「オモウ」、「かうし(格子)」は「コウシ」と読むんだよ、と教えて、試験の時は、「次の語の読み方を答えなさい」というような問題を出すのが今の高校の普通のやり方です。ところが、「表記の規則」を学ばせるというのなら、「思う」「格子」という語は歴史的仮名遣いでは「おもふ」「かうし」と書くんだよ、と教えるのが筋なのかもしれません。しかし、かといって試験問題まで「次の語は歴史的仮名遣いではどう表記するのか答えなさい」などとすると、生徒にとって古文の学習がますます苦痛になってしまいそうです。
どちらにしても「歴史的仮名遣い」が今の高校生にとって古文学習の躓きのもとになっていることは変わりませんから、いっそのこと、古文であっても最初から現代仮名遣いで表記したもので読ませた方が、生徒は古典の世界にすっと入っていけるかもしれない、著者も言うように《古文・文語文=歴史的仮名遣い》という固定観念をぶち壊してみてもいいかもしれない、とも思います。しかしそれはそれで様々な問題(文語動詞の活用をどう教えるか、など)につながるわけですから、そう簡単な話ではありません。
高校生にとってカッタルイことであっても、「思ふ」のような仮名遣いに触れさせること、「思ふ」がハ行四段に活用することを教えることには十分に意味のあることだと僕は思っています。
著者は言います。

歴史的仮名遣は、明治政府によって政策的につくられ、教育で叩きこまれたものである。百年ちょっとの歴史しかもっていない。

たしかに、規則としての(「規範仮名遣」としての)「歴史的仮名遣」には長い歴史はないと言えます。しかし、「思ふ」「かうし」のような表記の仕方が長く続いていたというのは事実なのです。そういう意味では、「現代仮名遣い(昭和61年告示)の「前書き」にある、

歴史的仮名遣いが、我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして、尊重されるべきことは言うまでもない。

というのは正しいでしょう。我が国の文化の一つである古典文学や文語文に親しむには、やはり歴史的仮名遣いがふさわしいと思うのです。