発見する心

mf-fagott2009-02-21今日も午後から自転車で出かけた。
先週末に比べるとずっと寒いけど、(というか、この時期としては普通の気温だけど)、春の日差しの中、自転車を走らせるのは気持ちいい。
今日の行き先は、かながわアートホール4月11日の演奏会の案内チラシができたので、置いてもらう分を持って行くついでに梅の花でもぶらぶら見てこようかという作戦。かながわアートホールというのは保土ヶ谷公園の一角にあって、近くには梅園もあるのだけれど、残念ながら木が貧弱なのかまだ時期が早いのか、あまり見ごたえはなかった。花を楽しむのだったら桜の時期に行ったほうがいいかもしれない。演奏会の頃まで咲き残っていてくれればいいのだけど、こんな暖かさでは無理だろうなあ。
梅の花は、途中通り抜けた子ども自然公園内の梅園がなかなか見事だった。ここは花見で有名な公園だけど、近ごろは梅の木も立派に育ってきた。種類も多いので、長く楽しめる。

家に着くちょっと手前で日が沈んだ。

こんな夕日は写真を撮りたくなる。もう少し我慢していれば、もっといい写真が撮れたかもしれない。


写真と言えば、つい先日、こんな本を買った。

ご近所旅は「行く」ものではなくて「見つける」もの。散歩・買い物・通勤通学などなどの、ちょっとした時間のスキマに、旅の気持ちで驚きや発見を感じる心のことだ。わずか五分、いや一分でもいい。自分が持ち続けている「旅への憧れ」というフィルターを通せば、普段見慣れているものでさえ、小さな旅へのきっかけに変わる。そしてほんの一枚撮った写真でさえ、心をよぎった旅情感をいつまでも残してくれる。

家の近くでも、新鮮な被写体は転がっているはず。問題は、そういう被写体を発見できる目、あるいは心を持っているかどうかではないだろうか。僕の中にそういう目・心があるのかどうか… どうもありきたりな被写体にばかり目が行ってしまっているのではないだろうか。なかなか俳句が作れないのも、同じところに原因があるような気がする。