鎌倉の山崎方代


先日鎌倉の駅前の本屋にて購入した『もしもし山崎方代ですが』(かまくら春秋社)を、本日読了。
鎌倉へは鎌倉文学館で開催中の企画展「歌人たちの鎌倉」を観に行ったのですが、一番印象に残ったのは、晩年を鎌倉で過ごしたという山崎方代の作品でした。




山崎方代には、

生まれは甲州鶯宿峠に立っているなんじゃもんじゃの股からですよ
ふるさとの右左口郷(うばぐちむら)は骨壺の底にゆられてわがかえる村

という歌があって、甲州の人、という印象を持っていましたが、鎌倉の手広の草庵を終の棲家と決め、十数年をそこで過ごしたのだということは、今回の展覧会で初めて知りました。
もしもし山崎方代ですが』には、「かまくら春秋」という雑誌に発表された短歌、エッセイ、対談が収められていて、鎌倉の草庵での方代の暮らしぶりが偲ばれます。

しみじみと三月の空ははれあがりもしもし山崎方代ですが
地上に夜が降り来ればどうしても酒は飲まずにいられなくなる
湘南のながき汀を往復しみごとな寒の若布を拾う
幸な御方ですよと草餅を盛りたる皿を置いて行きたり


さて、巻末の年譜を見ると、鎌倉に移る前の昭和26年(37歳)頃から昭和47年(58歳)までの約20年間、山崎方代はなんと横浜に住んでいたのですね。横浜の暮らしぶりはいかがなものだったのでしょうか。横浜での方代を知る資料があまり残されていないのだとしたら、ちょっと残念です。