不思議な交響曲

連句のたのしみ』(高橋順子著、新潮選書)を読み始めたのは今年3月、最近ようやく読み終わりました。あとから読み始めた本にどんどん追い抜かれてしまったということです。
つまらない本と言うのでは決してありません。連句の楽しみ方のコツを教えてくれる、よくできた入門書だと思います。正岡子規の「連句非文学論」が彼の誤った連句観から生まれたものなのではないかと指摘する章なども、興味深く読みました。にもかかわらず、途中で何度も中断しながら結局読み終わるのに半年もかかってしまったというのは、「連句はじつは当事者がいちばん面白い」からにほかなりません。

連句のたのしみ (新潮選書)

連句のたのしみ (新潮選書)

この本は、近代から現代に至るいくつかの歌仙を取り上げ、その勘所をわかりやすく解き明かしてくれます。また、著者自身も座に連なった歌仙については、連衆が集うまでの経緯やその場の雰囲気まで再現してくれています。歌仙を巻くというのは、その場に居合わせた人たちにとっては本当に心ときめくひと時なのであろうと想像されます。
でもやっぱり、当事者でない読者には、その楽しみを共有することはどうしたってできないんですね。それで、本を先へ先へと読み進もうという気持ちもなかなか起こらない、ということになってしまったのです。
連句はやはり自分自身が参加して楽しまなきゃ。この本が言っていることも、結局そういうことなんです。

 歌仙は共同作品なので、一人に丈高い句が生まれると嬉しいものである。私たちは見えない敵に向かってチームプレーをしているのである。しかし一句を前にして私たちは一人になる。きわめて個性的な独りとなって詩を書く。歌仙は不思議な交響曲である。

奏者全員がソリストであり、奏者になることで初めて聴衆にもなりえるという「不思議な交響曲」。学生オーケストラの一員として、市民オーケストラの一員として、多くの交響曲の演奏を楽しんできましたが、歌仙という「不思議な交響曲」の演奏にもぜひ一度参加してみたいものだと思います。

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