学校文法は難しいのか?

「国語」の時間に勉強する「文法」はなぜ難しいのでしょう。
僕の考えでは「文法」は生徒たちにとって「難しい」以前に「つまらない」のだと思います。「つまらない」から「わかる」まで頑張って勉強しない。だからよくわからないままで終わってしまう。それで「難しい」とか「苦手」とかいうことになる。
ではなぜ「つまらない」のか。
 1 堅苦しい理屈ばかりで、無味乾燥だから。
 2 耳慣れない用語や語尾の活用パターンなど、たくさん覚えさせられるのがつらいから。
 3 文法を勉強しても、難しい文章が読めるようになるとか、作文が上手になるとかいうメリットがなさそうだから。
だいたいこんなところではないでしょうか。
『日本語のしくみがわかる本』を読みました。著者(町田健)は、「国文法」には「これって筋が通らないんじゃの、と思えるところがいくつもある」から「分からないのが当たり前」なんだと言います。これは違うんじゃないでしょうか。文法を勉強していて、ここは筋が通らないぞ、こういう場合は原則に当てはまらないじゃないか、などと疑問に思う生徒はかなり「国文法」がわかっている優秀な生徒です。こういう生徒はテストでもいい点を取るに違いなく、言葉の勉強の面白さにも気づき始めているに違いありません。質問して先生を困らせてやろうなどとたくらんでいるイヤラシイ生徒であり、文法が好きだなんていう変人でもあります。文法が苦手だと言う普通の生徒は、「筋が通らない」と気づく以前のところでつまずいてしまっているのです。

日本語のしくみがわかる本

日本語のしくみがわかる本

『日本語のしくみがわかる本』の前半の2/3は、「偉い国語学者」の研究の中から「理屈に合わない主張を見つける」ことに費やされています。他人の説の弱点ばかり突っついているのを読まされるのはあまり気持ちのいいものではありません*1が、それでも著者の問題提起の中には賛同できる点が少なくありません。僕も、学校文法が日本語の骨格は「主語+述語」であり、それに「修飾語」がくっついて文が成り立つ、というように教えることには大いに疑問を感じていますから。
しかし、この本を最後まで読んでも「学校の先生に習った文法はよくわからなかったけれど、町田先生の文法はよくわかった」ということにはならないのではないでしょうか。日本語の文を成り立たせている原則についての著者の見解は、後半1/3でようやく示されますが、これは残念ながら誰にでも容易に理解できるというものではなさそうです。結構難しいんです。僕も、これで日本語のしくみがわかった、というすっきりした気分にはなれませんでした。
しかもここで説明に用いられている用語の多くは、(当然と言えば当然ですが)旧来の国文法の用語そのものです。「使役」「推量」「終助詞」「従属節」… 文法嫌いの人はもうウンザリでしょう。
こう考えてきますと、嫌われ者の「学校文法」ですが、言葉のしくみを考える際の基礎として、あるいはたたき台として、勉強する価値をもう一度見直した方がいいのかなとも思います。(もちろん、これが絶対的なものであるという思い込みは禁物ですが。)

*1:親しみやすさをねらったのか、文章そのものも妙にくつろいでいて、僕はどうしても受け付けませんでした。この本は買う前に1ページくらい読んでみて、自分との相性を確認した方がよさそうです。