読んだつもりの本

読んだけど内容を思い出せない本、読んだことすら忘れてしまった本というのはたくさんありますが、読んでないのに読んだ気になっていた本というのもあるんですね。
伊丹十三の本を読みたくなって、本棚を探したんですが一冊しかないんです。あれ? 以前読んだのや読みかけのが何冊かあるはずなんだけど… 古本屋に売ってしまったのかなと思って、処分した本のリストを確認したんですが、その中にもないんですね。読んだと思っていたのは、どうも僕の思い違いのようでした。
一冊だけ持っていたのは『問いつめられたパパとママの本』。しかも栞が中ほどに挟んである、ということは読みかけということです。「冬ニナルトドウシテイキガ白クナルノ?」の最後のページに栞が挟んであったので、次の「赤チャンハドウシテ出ベソナノ?」から読み始めました。

問いつめられたパパとママの本 (新潮文庫)

問いつめられたパパとママの本 (新潮文庫)

(僕が読んでいるのは中公文庫の方です。)
伊丹十三の本は(というほど読んでいなかったわけですが)、独得の語り口が魅力ですね。内容はどうと言うこともないのに、先へ先へと読みたくなってしまいます。次は『ヨーロッパ退屈日記』なんかもぜひ読んでみたいと思いました。
それにしても、読んでいないのになんで読んだと思い込んでいたのか? 『お葬式』とか『タンポポ』とか、映画を何本か観て伊丹十三という人に興味を持ち、今度は本を読んでみようと思ってちょっと読みかじったところで中断してしまったのに、その印象が強くて読んだ気になってしまった、というところかもしれません。
今回、伊丹十三を読みたくなったのには、はっきりしたワケがあります。
芸術新潮』7月号を読んでいたら、<小特集 中村好文設計の「伊丹十三記念館」開館>という記事があったのです。僕は、中村好文の連載を読むために『考える人』を毎号買っているくらいの中村好文ファンなのですが、その中村好文が設計した「伊丹十三記念館」ができたとあっては、もう行くしかないではありませんか。とはいうものの、所在地が愛媛県松山となると、おいそれと出かけていくわけにはいきません。せいぜい今は伊丹十三の読みかけの本でも読んで、来るべき愛媛行きに備えておこうというわけです。