環境問題への処方箋

われわれはどこへ行くのか? (ちくまプリマー新書)

われわれはどこへ行くのか? (ちくまプリマー新書)

環境問題を根本から考えるときの拠り所となってくれそうだと期待して読み始めたのですが…

現在、地球環境問題というと、温暖化がいちばん問題とされています。しかし少し前までは氷河期が来るといわれていたりして、地球システム論的にはいったいどちらが正しいのですか? という質問を受けることがあります。

この質問に対して筆者は、地球史のスケールで環境変動をきちんと調べるための研究費が出ないから答えようがない、と言います。一番知りたいことについて、答えようがないと言われてしまうとちょっとがっかりです。しかし、今の科学では「わからない」というのがいちばん誠実な答えなのかもしれません。

「地球にやさしく」などという情緒的で空疎な標語が出てくるのは、まさに地球のことを知らないからです。そういう、うわべは美しいけれども安易な言葉でくくってしまうと、地球環境問題をかえってわかりにくくしてしまうのです。

温暖化については、地球システムの本質的な理解が得られなければ、有効な処方箋も見つからないというのは道理です。
では、当面われわれは今のままの暮らしを続けていていいのか。
「否」です。
筆者は、われわれが今の生き方を続けていれば、21世紀の半ばには(もうすぐだ!)人間圏に入ってくるモノとかエネルギーの量に行き詰まりが生じるようになるといいます。(たとえば食糧不足。)この事態を食い止めるためにはどうしたらよいか。筆者は次のように言います。


…人間圏の未来のためには「レンタルの思想」が重要だ。かつては本は貸し本屋で借りて読むもの、自転車も貸し自転車屋で借りて遊んだものだ。消費を抑制しないと地球へのインパクトが強くて、急激な環境変化を食い止められない。資本主義社会の中で経済力をつけてモノを多く所有することができた人を「勝ち組」などと呼ぶような価値観を逆転させなければいけないのだ。


価値観の転換なくして環境問題への有効な取り組みはあり得ないということです。今のままの価値観では生活様式も変わらず、事態は好転しないというのはよくわかります。
それにしても、筆者が言うように、このままではわれわれの文明の寿命があと50年しかもたないというのでのであれば、価値観の転換はもっと声高に叫ばれていなければならないはずです。だって、人類があと50年後に消滅してしまうのであれば、21世紀末までに地球の気温が○○度上昇するなんていう予測には、全く意味がないわけですから。
筆者の主張はまともに相手にされていないということなのでしょうか…