チェロvsファゴット



『考える人』最新号(特集「続・クラシック音楽と本さえあれば」)の中の、アンナー・ビルスマへのインタビュー(バッハ「無伴奏チェロ組曲」とは何だろう?)をとても興味深く読みました。

考える人 2007年 08月号 [雑誌]

考える人 2007年 08月号 [雑誌]

『考える人』は、2年前も同じ特集を組んでいて、そこには「私のベスト・クラシックCD」という企画があって、作家、詩人など32人がマイ・ベストCDを選んでいます。「マタイ受難曲」「ゴールドベルク変奏曲」など、バッハの曲を選んでいる人が多いという印象ですが、中でも「無伴奏チェロ組曲」の5人というのが一番多いようです。(他の曲をちゃんと数えたわけではありませんけど…)
選んだ人と、選ばれた演奏家は次の通り。
江川紹子(ジャーナリスト)…フルニエ、ヨーヨー・マ
加藤典洋(文芸評論家)…カザルス
永江朗(ライター)…カザルス
藤本和子(作家・翻訳家)…ヨーヨー・マ
平出隆(詩人)…ビルス
僕は、ヨーヨー・マビルスマのどちらも古いほうの録音を持っていますが、最近はビルスマの方ばかり聴いています。以前、ファゴットのレッスンでこの「無伴奏チェロ」を吹いたことがあるのですが、そのとき先生が「参考になるから聴くといい」とおっしゃっていたのがビルスマだったのです。ビルスマはインタビューの中で、次のように語っています。

バッハの時代とはちがって、現代の演奏家はバッハの楽譜を詳細に勉強して演奏するかと思えば、その次にはストラヴィンスキープロコフィエフを弾かなくてはならない。でもやはり私は、一人の作曲家に集中して、その作曲家の作品にいちばんいいと思われる方法を探り当て、その音楽にきちんと向き合って演奏をしなければいけないのではないかと思うのです。もうひとつの問題は、音楽としてやっていると、どうしても演奏の中に自分というものを入れたくなってくることですね。しかし、音楽というものは、作曲した人がその曲の演奏のいちばんいい方法を知っているはずで、だから心静かに楽譜と向き合い、そこへ近づいていくべきなんです。

これは、僕のような素人のファゴット吹きも耳を傾けるべき言葉だろうと思いますし、レッスンで先生がおっしゃったことも同じような趣旨だったと思います。


ビルスマへのインタビュー記事の中で印象に残った部分もう一箇所挙げておきます。

(弦楽器のボウイングは)私たちが息を吸って吐くのと同じです。アップボウで吸い、ダウンボウで吐く。アップボウは最初は小さな音で始まって大きくなる。ダウンボウは大きい音から始まりますが、音はだんだん小さくなる。息を吐くときもそうでしょ? あるいは、アップボウは「?」で、ダウンボウは「!」とも言えます。「そうかな? そうじゃないかな?」と引いていって、「そうだ! そうなんだ!」で終わる。音楽もそうですよね。「!」で終わります。
そう考えると、オーボエなんて実に素晴らしい楽器なのに、息を吐くことしかできない。可哀想ですね(笑)。

「可哀想」なのはファゴットだって同じです。リードをくわえたまま息を吸ったら、唾が逆流するだけですから! 確かに息を吸うときも吐くときも音楽を表現できる弦楽器は、管楽器よりも表現力は上かも知れません。(僕はここで、大学オケのファゴットの先輩のHさんを思い出してしまいました。Hさんは大学オケを卒業後、ファゴットからチェロに転向して、後輩の僕たちにもしきりにチェロへの転向をすすめるのです。Hさんに言わせれば、ファゴットなんてチェロの表現力の豊かさの前では取るに足らないということなのです。)
チェリストはバッハの「無伴奏」のような名曲の演奏を楽しめるのだと思うと実にうらやましい。ファゴットでチェロのような表情豊かな演奏をするのは至難のわざですし、そもそもチェロのように和音を鳴らせませんから。ファゴットでバッハの「無伴奏」を吹いていると、本当に歯がゆい思いをします。
でも、ファゴットにはチェロとは違う魅力がありますからね、今となっては一生連れ添うしかありません。そして、チェロの名曲は、ビルスマのような名演奏家の録音で楽しもうと思います。(これを書きながら、久々にヨーヨー・マの「無伴奏」を聴いてみましたが、これはこれで名演奏ですね。)
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